大泉洋さんが出演する北洋銀行のカードローン「スーパーアルカ」

CM

北海道のローカルタレントから全国区の人気俳優へと飛躍を遂げた大泉洋さん。
ドラマに、映画に、舞台にと活躍の場を広げ、ヤクルトをはじめ全国規模の大企業のCMにも多数出演。
いまではテレビでその顔を見ない日はないほどの売れっ子ぶりですが、いまだに地元・北海道のローカル番組に何本もレギュラー出演してファンに愛されています。
そんな大泉洋さんが地元・北海道限定で出演しているのが道内一の地方銀行、北洋銀行のカードローン「スーパーアルカ」のテレビCMです。

飄々とした明るいキャラがカードローンのCMにぴったり

北洋銀行カードローン「スーパーアルカ」の2018年版は、ヨガ編とファイト編、サラリーマン編の3本が道内のテレビで流れています。

▽北洋銀行カードローン「スーパーアルカ」ヨガ編


バラエティ番組にも引っ張りだこの明るく飄々としたキャラクターそのまま。ファンに愛される人柄がにじみ出ているCMですね。

ファイト編サラリーマン編北洋銀行の公式チャンネルでご覧いただけます。

大泉洋さんの人気のわりには再生回数はまだ数百から数千ほどなので、道外在住のファンにはあまり知られていないのかも。
今や押しも押されもせぬ人気俳優となり、安定した活躍を続ける大泉洋さん。
地元・北海道のローカルCMで見せるリラックスした表情がとても魅力的です。

カードローンのCM出演は足掛け14年

大泉洋さんは現在、北洋銀行のカードローン「スーパーアルカ」のCMに出演していますが、実は「スーパーアルカ」の前身ともいえる札幌銀行のカードローン「アルカ」のCMにも2003年から出演していたのです。

▽2003年の札幌銀行カードローン「アルカ」のCMがこちらです。

2003年といえば、すでに道内ではその名を知らない人がいないほどの人気者になっていた頃です。
人気深夜番組「水曜どうでしょう」のレギュラー放送はその前年の2002年に終了していましたが、別のローカルバラエティ番組でもまたさらに人気を集め、ローカルタレントという枠を飛び越えて、道民誰からも愛される存在になっていました。

さらに、大学時代の演劇サークルから派生した劇団「TEAM NACS」の仲間たちや同じ事務所に所属するローカルタレントたちも、大泉洋さんの人気にあやかって道内の情報バラエティ番組のレポーターとして大活躍。
劇団「TEAM NACS」の公演チケットは売り切れ続出でプレミアがつく程でした。
2003年の「アルカ」のCMでは仲間や後輩から頼られる人気者というキャラを演じていますが、当時の大泉さんはまさにCMそのままに大勢の仲間を支えていていたのです。

いざという時に頼れるカードローンのイメージキャラクターとしてはうってつけの存在だったと言えますね。

札幌銀行の「アルカ」は銀行カードローンの草分け的存在

そんな大泉さんがかつて出演した札幌銀行のカードローン「アルカ」。
残念ながら札幌銀行の名前は既に消え、道内最大手の北洋銀行と合併(対等合併)しています。
札幌銀行のカードローン「アルカ」が、北洋銀行のカードローン「スーパーアルカ」として生まれ変わったというわけです。

今はなき札幌銀行ですが、そのカードローン「アルカ」は実はちょっと面白い歴史を持つカードローンです。

札幌銀行の前身は北海道相互銀行。そのさらに前身である北海道無尽株式会社が誕生したのは1950年(昭和25年)のことでした。
庶民向けの融資会社である北海道無尽株式会社は、今でいうところの消費者金融のような位置づけでした。
その北海道無尽株式会社が翌年1951年(昭和26年)には相互銀行へと転換し、株式会社北海道相互銀行として生まれ変わり、さらに1989年の銀行法改正に則り、普通銀行へと転換。第二地銀である「札幌銀行」へと発展しました。

多くの銀行が不動産開発や企業向けの融資拡大を図るのとは対照的に、札幌銀行(その前身である北海道相互銀行時代も含めて)が力を注いでいたのが個人向け融資です。
相互銀行時代の1987年(昭和62年)には、50万円以内の融資に50分で回答する「スピードローン50」を発売しました。
これが人気を博し、それまでは20億円強であったローン残高が一挙に20倍の400億円にも膨らみ業績拡大。
そうした個人融資重視の経営理念と長年のノウハウから誕生したのが、大泉洋さんがCMキャラクターを務めたカードローン「アルカ」なのです。
いわば銀行カードローンの草分け的な存在といえますね。

個人融資重視の信念を引き継いだスーパーアルカ

個人融資取引を重視する札幌銀行の信念は2008年に北洋銀行と合併した後も引き継がれ、北洋銀行のカードローンー「スーパーアルカ」となりました。

ちなみに、札幌銀行と北洋銀行との合併は、吸収合併ではなく、あくまでも対等な立場での合併です。
2001年には既に両行の持ち株会社である「札幌北洋ホールディングス」が設立され、システム統合へ向けた準備が着実に進められていました。
そうした経緯からも、札幌銀行のカードローン「アルカ」が北洋銀行の「スーパーアルカ」へと発展したことも自然な流れとしてうなずけますね。

拓銀破綻に手を差し伸べた札幌銀行

現在、道内トップの銀行である北洋銀行もまた、札幌銀行と同様に、相互銀行から第二地銀へと発展した銀行です。
第二地銀と呼ばれるぐらいですから、その上には地方銀行である北海道銀行や、さらには都市銀行の一角を占める北海道拓殖銀行が存在していました。
もちろん、都市銀行である拓銀とは比較にならないくらい小さな規模でした。

ところが1997年、バブル時代からの無謀な融資により積み重なった不良債権によって、拓銀が経営破綻に追い込まれる事態となりました。
その時、拓銀救済のために名乗りを上げたのが札幌銀行でした。

しかし、当時の札幌銀行の会長は拓銀出身の塩田隆氏。
拓銀時代から塩田氏は、不動産開発と企業への融資に偏重する拓銀首脳陣の姿勢に異を唱え、個人融資取引への取り組みを主張していました。しかし、塩田氏の意見は拓銀首脳陣からは煙たがられ、左遷された末に札幌銀行の前身である北海道相互銀行へと追いやられることとなりました。

その塩田氏が率いる札幌銀行から救済の手を差し伸べられる形となった拓銀首脳陣が、そのオファーを素直に受け入れられるはずがありません。かつて追い出した相手の軍門に下るような真似は拓銀幹部のプライドが許さなかったのでしょう。

道内経済の苦境を救った北洋銀行

札幌銀行の申し出を断った拓銀がすがりついた先が北洋銀行でした。
常識で考えれば、相互銀行から普通銀行に転換して日も浅い北洋銀行に、破綻した巨人・拓銀を救済合併できるだけの力などあるはずがありません。
しかし、ここで拓銀を救済しないと、平成不況にあえぐ道内経済がさらに苦境に追い込まれるとの思いから、北洋銀行は数々の困難を乗り越えて拓銀からの営業譲渡を受け入れます。
道内第三位であった北洋銀行が、都市銀行の拓銀を吸収合併する様は、蛇が象を飲み込む様子に例えられるほどでした。

こうして拓銀破綻を乗り越えたことで道内経済はどん底から脱出するきっかけをつかみ、21世紀に入ると徐々に回復の兆しを見せ始めます。
道内で暮らす人々の目には今も、北海道経済の苦境を救った立役者として北洋銀行の姿が映っているに違いありません。

大泉洋さんのCMは北海道経済復活のシンボル

奇しくも拓銀が破綻した1997年は、大泉洋さんが出演した深夜番組「水曜どうでしょう」が注目を集め、一躍人気者へと駆け上がっていく時期と一致しています。
今でも伝説として語り継がれる名シリーズ「サイコロの旅1」がオンエアされたのが96年。同じく96年には「激走!24時間 闘痔の旅」、97年は「大陸横断 オーストラリア完全制覇」、「212市町村カントリーサインの旅」、「ヨーロッパ21か国完全制覇」など、「水曜どうでしょう」ファンの間でも人気の高いシリーズが続々と放送されました。
出口の見えない不況が続く中で、道民の心を癒し続けてくれたのが大泉洋さんだったのです。

札幌銀行のカードローン「アルカ」のCMを経て全国区の人気俳優へと飛躍を遂げた大泉洋さん。ドラマに、映画にと忙しい中でも、北洋銀行のカードローン「スーパーアルカ」のCMに出演して、地元・北海道の人々に笑顔を届けている---偶然にしてはでき過ぎているストーリーのように感じられます。

札幌銀行と統合を果たして安定した経営基盤を確保した北洋銀行も、大泉洋さんの活躍と足並みをそろえるかのように着実に競争力を増し、現在では地方銀行として6位の総資産を有するまでになりました。

大泉洋さんのカードローンのCMは北海道経済復活のシンボルでもある、といったら少し大袈裟に過ぎるでしょうか。